あらためて大学の先生のすごさを実感2

※つづきです。

前述の、ある人の絵を完成させてから少し楽になった。その絵を描いているときは、今までの"作品を仕上げなければならない"という強迫観念がなく、好きに描くことができた。

大学時代、裸婦の塑像をつくっているとき、モデルを触りたいとどれほど思ったか。恋人のいる先輩たちがどれほどうらやましかったか。追及すればするほど思うようにいかない。それをつくるには、それを知る必要がある。それに興味を持たなければ続かない。当時、人物像で感情表現をしようとしていたが、表現の前に人物が立つことや動きを出すことがあり、人体についての知識が足りなかった私は中途半端な作品をつくった。正直に言う。人体をつくることに興味を失くしていた。

完璧主義だから続かなかったのか、あきらめたのか。

大学4年の人物像制作ではスランプをごまかしながらどうにか作品をつくりあげた。しかし、院時代の絵についてはごまかしがきかなかった。先生は私を責めることなく、よく考えて言葉をくださった。あの絵についてもそうだった。私は少しばかり自分を信じることができた。何かを乗り越えた感じがした。

その冬また病みそうになったが、私は色を得ていたので乗り越えることができた。新しい色をくれた当時の恋人の存在も大きかった。同期の子が「色がやりたいんでしょ」と言ってくれたことも自分を知るいいきっかけになった。

私を自由に表現させてくださり、親身にアドバイスをくださった先生方に本当に感謝します。

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